人、場所、時代と向き合い、考え抜いた『原型(プロトタイプ)』がデザインになる

白川 直行さんへ3つの質問
Q.この仕事に向いている人は?
A.モノが好きな人、人が好きな人、そして一人でいることに耐えられる人。
Q.座右の銘は?
A.誰も考えたことのないアイデアは、遠くにあるのではなく自分の足元に隠れている。
Q.この職業ならではの癖は?
A.デザインについて常に考えていること。何をしているときも、頭の中では同時に別のことを考えるのが癖になっています。
建築に興味を抱いたのは中学2年。地震で壊滅した中東の都市を再建する国際コンペで、建築家・丹下健三氏の案が選ばれた新聞記事だったという白川直行さん。大学では、建築論を語る増田友也教授に一目ぼれ。建築家への道を選んだ。「先生の様に、深く考えることができる人になりたいと強く思いました。長い白髪に白いジーンズ、男が見てもかっこよかった」と語る。
建築事務所に勤め、独立を迷っていた30代前半。担当した小学校の設計が転機となった。敷地全体を教育空間と考え、中庭を活かしたデザインが高い評価を受けた。これを契機に東京で事務所を設立し、独立後は国内外から注目される作品を次々と発表。多くの障がい者が働く工場「サンアクアTOTO」では、ユニバーサルで安全かつ快適な仕事環境を創り上げた。
震災後の神戸に建てた緑化屋根の小さな住宅、建物の大半を地中に潜ませたリストランテ・サーラカリーナなど、白川さんの作品には際立った個性がある。「依頼してくださる人、場所、時代が全て違うのですから、同じデザインになるはずがない。設計者がスタイルを重視しすぎるのは、僕は嫌です。使う人のこと、建物の目的を掘り下げて考えていくと、アイデアは必ずユニークになるのです」。
東京から北九州に帰郷後は、高齢者福祉施設を多く手掛けるように。従来の設計を打ち破るアイデアを探し、しばらくは苦しんだ。安心して過ごせる環境を考え抜き、介護者が一日に歩く動線の長さに着目した白川さん。スタッフが夜一人になる場所を中心に置き、全ての居室と最短距離になる円型の建物が完成した。
現在は県外からもオファーがあり、さらに新しい設計に挑戦している。「まだまだ建築家が考えないといけないことは沢山ある。介護する人もされる人も、少しでも楽しく、笑顔になれるような、新しい『原型』ができたらいいなと思っています」。
夢は、村野藤吾のように92歳まで現役を続けること。「外国の建物や人のコピーはしたくない」と笑みを浮かべる。新しい人、場所、時代と出会って生まれる未知の空間に思いを馳せ、思考は自由自在に駆け巡る。
ミラノで開催され、空間デザインを担当した小倉織のインスタレーション。作品「布の彫刻」では、聖人像前に小倉織の反物を150段積んだ。(CG制作:伊関達文)
青森県の高齢者福祉施設のファーストスケッチ。8つのユニットがまるで5弁の花びらのような構成の設計を手掛けている。
建築家 『株式会社 白川直行アトリエ』代表取締役
白川 直行さん
1951年北九州市生まれ。京都大学工学部建築学科卒業後、東京の建築事務所に勤務。1987年に独立し、デビュー作「金属の茶室」が注目される。1994年「サンアクアTOTO」(北九州市小倉南区)の設計で、日本の建築で初の「グッドデザイン賞」を受賞するなど、受賞歴多数。2005年北九州市に事務所を移転。2005年~2014年九州工業大学客員教授。現在は高齢者福祉施設、住宅などを設計。染織家・築城則子さんが手掛ける小倉織の海外出展では、会場の空間デザインを手掛けている。