施主の家族に末永く寄り添う住まい作りを目指して。
生き方も仕事も、原動力は家族
一歩その家に入ると、室内の空気すら寛いでいるように感じる。無垢材をふんだんに使用した床、高性能で美しいデザインの木製サッシ、凛とした杉材の柱。高気密高断熱で快適な温度に保たれ、外部の騒音もほとんど聞こえない。
ここは福岡市城南区鳥飼にある『でんホーム』のモデルハウス。
藤本香織さんがこだわる、福岡都心部でも心地よく四季を感じ、家族がゆったり暮らすための工夫が詰まった家だ。
建築もやりたかったという造園家の父の後ろ姿をみて、藤本さんはいつしか建築の道へ。最初に就職した建設会社ではハードワークだったが住宅設計の担当としてやりがいを感じ、天職とまで思った。
仕事が順調だった27歳のある日、藤本さんは久しぶりに戻った実家で年老いた祖父母の世話をする母の姿をみる。母は自身も難病を抱えながら世話を続けていた。
「仕事は楽しい。でも家族を犠牲にしているのではないか。自分にとって一番大切なのは家族。そばにいて心の支えになりたい」。
そう気付いて退職し、下関に戻った。
どん底から救ってくれた一枚の手紙
祖父も亡くなり、29歳で藤本さんは結婚を約束した彼の希望で福岡へ移り住み、設計事務所で働きはじめる。仕事は福祉施設などがメインの、住宅とは全く違うフィールドで、ボツばかり食らい怒鳴られながらこなす日々だった。
しかし行き違いから、結婚を反対されて両親との関係は不仲になり、その渦中に彼は藤本さんの元から去った。福岡には親戚も友人もおらず一人ぼっち。「自分に生きている価値はない」と職場でも存在意義を感じられず藤本さんは感情を失っていった。
そのとき、かつて住宅設計をしたお客様からの、藤本さんへの感謝の手紙が偶然出てくる。読むにつれ久しぶりに感情が蘇り、涙が溢れてきた。「私にできることは大切な家族の思い出の場である価値ある住宅を作ることだったんです」。自分の存在意義が分かった瞬間だった。
「設計から施工まで行い、家のお引き渡し後もお客様へのフォローを続けたい」。それには独立しかないと分かっても躊躇していた藤本さんの背中を押したのは、今のパートナーだった。今では一緒に会社を切り盛りする。
家作りは家族の幸せが何より大切との信念を持ち、丁寧な聞き取りを行いその家族に最適な住まいの形を提案し続けている藤本さん。
「辛いときは自分の人生の意味に気付くチャンス、と今は思いますね」と、乗り越えた先に生まれた強さを秘めた笑顔で答えた。
でんホーム株式会社 代表取締役社長・一級建築士
藤本 香織さん
1978年山口県下関市生まれ。実家は祖父・伯父・父・従兄と続く造園家。広島大学工学部建築科卒業後、四国の建設会社で住宅設計を担当。その後、下関に戻り地元の工務店、建築設計事務所で研鑽。福岡の建築設計事務所での勤務を経て、2011年『でんホーム一級建築士事務所』設立。翌年、株式会社化。2歳と1歳の娘の母。