松原 知生(まつばら ともお)先生
西南学院大学
国際文化学部国際文化学科 教授
岐阜県生まれ。京都大学文学部卒業、同大学院文学研究科博士後期課程研究指導認定退学。1997年より2002年までイタリア、シエナ大学に留学。2005年、西南学院大学文学部専任講師に着任、2012年より現職。専門はイタリア中世・ルネサンス絵画を中心とする美術史。唐津焼など日本の古い陶器を買うのが好きで、現在骨董に関する書籍を執筆中。
〝絵を読む〞って面白い。絵画から覗く、中世イタリア美術の世界。
〝絵を読む〞 という表現を知っているだろうか。「絵画や彫刻などの美術作品は、ただ美しさを鑑賞するためのものではありません」とは、西南学院大学国際文化学部でイタリア美術史を研究する松原知生先生。「今でこそ美術作品は、美術館などで鑑賞するものとされていますが、本来、中世のイタリアの人々にとっては、生活や信仰の中で用いられていたものなのです」と先生は語る。そこで今回は、「いわゆる美術品」とは違う角度から、イタリア美術の世界を覗いてみることにしよう。
生活に密着した、中世イタリアのアート
中世イタリアの生活に、絵画が実際どのように用いられていたかというと、例えば当時、疫病が蔓延したときには、教会から絵画を持ち出して行列をしながら町中を歩いたり、直接触れるなどして、祈りを捧げていたのだそう。また彫刻や像などにハーブの絞り汁を塗ったり、口づけをして敬意を表したという。美術作品はいわゆるアートではなく、信仰の対象として生活に用いるものだったのだ。
「貴重な文化財であるために、触れてはいけないというのが現代の常識になっていますが、かつて人々の身近に存在していた事を考えると、美術館などで展示されている姿は、ある意味〝葬られた状態〞にも感じます」と先生。美術館に行くと、遠巻きに黙って絵を鑑賞する、というのが基本になっているが、かつては「絵画がこちらを見ている」という視点も大切にされていた。キリスト像に自分を見てもらうために教会に行ったり、その目を意識して修道士などが修行に励んでいたのだ。
絵画は、聖なる世界へつながる「窓」
現代でアートというと、その作品に作り手の個性が反映されているイメージがあるが、中世の絵画はそうではなかった。ほとんどの作品に絵画の注文主、つまり、メディチ家に代表される「パトロン」の要望が反映されている。注文主の姿が、聖母マリアやキリストと同じ絵画の中に登場することもしばしばあり、あわよくば聖なる存在に近づきたいという欲望が表されている。絵画は一族やグループの結束を強めたり、他のグループとの差をつけるための権力の象徴でもあったようだ。
「ラファエロの『システィーナの聖母』を見ると、絵画のまわりには、カーテンがあったり、窓枠にひじをついた天使2人が、聖母マリアと幼児のキリストを見上げているように描かれています。まさに奇跡の空間ですね。当時の宗教画は、聖なる世界に繋がる「窓」のようなものだったとも言われています。現代において、バーチャルな空間に繋がることができるような、今で言うパソコンの〝ウィンドウズ〞が絵画だったのかもしれませんね」と松原先生。
今回のアヴァンティゼミでは、実際の中世イタリアの絵画などを用いて、その絵に込められたメッセージをみんなで考え、理解を深めてみよう。きっと、違った視点から絵画が楽しめるはずだ。