町田 智子(まちだ ともこ)さん
朝日新聞社取締役 西部本社代表
Profile/1959年大分県生まれ。慶応義塾大学経済学部卒業後、1982年朝日新聞社入社。文化メセナ部次長、文化事業部長、企画事業本部長、企画事業担当などを歴任し、2013年6月末から現職。各種会議や催事の式典、講演などで、九州一円を中心に全国各地を飛び回る忙しい日々。単身赴任で希少な休日は、時間があると友人と博多の街を「歴史散歩」して楽しむ。
柔軟さと広い視点を忘れず、前進したい。
「いろいろな文化を紹介したい。そんな思いで、新聞記者の試験を受けました。すると最終面接後に、『記者ではなく企画(文化事業)の仕事をしてみないか?』と逆に声をかけられたんです」。
そう語るのは、『朝日新聞社』取締役西部本社代表の町田智子さん。同社では初の、女性の西部本社代表だ。彼女は入社以来約30年、その大半を文化事業とともに歩んできた。
新たな発見の連続、文化事業の醍醐味
監修者とどんな展覧会をするかプランを練り、それをいかに実現し、発信するか。企画部(文化事業)の業務は、出品交渉や図録・ポスター製作のほか、紹介記事を書いたり、広報計画を詰めるなど、多岐にわたる。社会部での「記者修行」の後、企画部での仕事をスタートさせた彼女に、最初の転機が訪れたのは1986年。オランダ・ライデン大学所蔵の幕末の写真を紹介した「甦る幕末展」のときだった。「写真に写っている人の子孫が名乗り出てくれたり、不明だった撮影場所や新事実が明らかになったり。リアルな幕末に触れたようで、新たな発見にワクワクしました」。
新聞で新事実を伝えると、その反響でまた新たな事実が出てくる。新聞社ならではの仕事だった。「もっと巡回させれば、まさに幕末が甦る。そう思い全国各地で開催できないかと考えたんです」。通常、展覧会は多くても全国数会場だが、地方の美術館や百貨店をリストアップ。 “突撃” で未知の担当部署に電話し、企画書を送って交渉した。自ら考え、展開していく中で「甦る幕末展」は2年半で26会場を回る、例のないものに。「なかなか巡回できない九州各地でも開催していただきました。昨年長崎に伺ったら、当時の担当の方が懐かしそうに迎えてくださって。ご縁が続いていくこの仕事にめぐり合えたことに、幸せを感じた出来事でした」。
『朝日新聞社』が手がける文化事業は年間100本以上で、大成功することもあるが、時には思い通りに事が運ばないことも。東日本大震災の折は、原発問題の影響で世界各地の美術館や政府が軒並み「中止」を求める事態に。それでも仲間や関係者と知恵を出し合い、できる限りの手を尽くした。そのうちの一つ、青森県立美術館の「印象派展」は、開幕直前にやっとドイツから了解を得られ開催が叶った。準備が遅滞した分苦戦したが、10万人以上を動員する結果に。「いつも蓋を開けるまでドキドキ。いいものを創りたいから、とにかく最後まで力を尽くします」。
前例に捉われず、何が最適かを問う
昨年、マスコミ業界では珍しい女性の取締役西部本社代表に就任。携わる仕事も責任の重さも、ガラリと変わった。それについて尋ねると、「これまでも苦労はあったが、 “いろいろな文化を紹介したい” 一念で、自分の仕事を楽しんできただけ。立場や役割に捉われすぎず、肩の力を抜いて、これからも人との縁をつなぎ、視野をさらに広げていきたい」。
いいものは、いろいろな人の知恵を結集してこそできる。だからこそ、プロジェクトを進めるときは、「我」を排して最適な組み合わせを求める。壁にぶつかったら、ゼロベースで『今、何が最適か』を考えればいい。「これまでのキャリアやネットワークを生かして、新たな仕組みを作っていけたらと思っています。そうして九州はもちろん、日本を、世界を元気にできるよう、西部本社から情報を発信していきたいですね」。