野々村 淑子(ののむら としこ)先生
九州大学大学院 人間環境学研究院
教育文化史 准教授
お茶の水女子大学文教育学部卒業後、一般企業に就職。社会における女性の位置について疑問を抱き、研究の道へ。東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻博士課程修了後、現職。休日の楽しみは、読書やドラマ鑑賞をして過ごすこと。
教育とは、母親がするもの? それとも教師?
子どもの育ちを支える社会とは。
最近、「子どもを賢く育てるには」「○歳までに○○を身につけさせるとよい」など様々な子育て情報があふれる一方で、子育て不安やいじめ問題など親や教師の責任問題が取り上げられるニュースも多く耳にする。今回は、子どもが育つ環境の歴史的な変化に着目して研究する「教育文化史」の観点から、九州大学大学院の野々村淑子先生に話を聞いた。
「子育ては女性がするもの」はつくられた役割?
「女性は男性と異なり、子どもを 〝産む〞 性としての身体の機能を持ち、それゆえに〝育てる〞 力を本来的に持っている。この考えは現代社会に深く浸透していますが、実はそれは西欧において17世紀以降に発見されたものなのです」と、野々村先生は語る。男女を生物学的、医学的、解剖学的差異によって区別する考え方自体がその頃に成立し、それによってだんだんと女性や男性の生き方、そして子どもの育ち方そのものが決定付けられるようになったのだ。
日本では、明治期に様々な制度や生活習慣が西欧化し、「子育ては女性がするもの」という考え方が 〝良妻賢母〞 という言葉と共に一部の知識人層に浸透した。そして大正期には 〝母性〞 という言葉が使われ始め、さらに戦後になると 〝男の甲斐性〞 といわれるような「妻を働かせずに生活させられることが当然だ」という風潮が高まった。日本という国が目指す急成長の過程で、「男性が外に出てばりばり働き、本来的に育てる力を持っている女性が子育てをする」という考え方がうまくマッチングし、子どもは母親に育てられるものと考えられるようになったのだ。
これからの教育のカタチとは?
「西欧中世までは、子どもが生まれ育つ空間は、大人の空間とは隔離されていませんでした。衣食住を共にし、農業や畜産など自給自足の労働、休憩の時間、赤ちゃんの世話、老いや病、死までを含んだ一生そのものが、子どもと大人の世界の区別なく営まれていたのです」と先生が話すように、その頃の子どもは7〜8歳になると、親の保護から離れて働き、将来担う職業の知識や技術、それにふさわしい振る舞いや生き方を実践的に身につけていた。生活の中で、「こんな大人になりたい」という理想像を描くことができたのだ。それに比べて現代の子どもたちには、〝理想の大人像〞 を得るチャンスはどれだけあるのだろうか。「親以外の大人と接する環境としては 〝学校の教師〞 が挙げられますが、現実には子どもの教育を専門に担う学校と実践社会では、異なるものがあります」と野々村先生。「教育の場が学校と家族に限定されるようになったのは、ごく最近のことなのです。なぜそうなったのか、そこで私たちの社会が失ったものは何なのか。教師や親に限らず、社会全体で子どもの育ちを支えるために、まずは大人たちが歴史の流れを知っておく必要があると思います」。
今回のアヴァンティゼミは、子どもの教育の歴史的な流れを振り返り、ディスカッションを交えながら現実に沿って考えを深めてゆく。これからの子ども教育のカタチを考えてみよう。